40 金銀絵漆皮箱 より

 

■正倉院宝物とデザインについて
正倉院宝物は一度に成立したのではなく、何段階かに分かれて成立しており、成立過程も皇室からの献上品、東大寺独自の収蔵品、皇室以外からの献上品と様々である。
もっとも根幹をなすものは、聖武天皇の七七忌に光明皇后が天皇遺愛の品々ならびに皇后に縁のあるものを東大寺大仏に献上したものである。その後も若干の宝物が光明皇后から東大寺に都合五度にわたって献上された宝物は正倉院正倉の北倉に納められ、今日に伝えられている。
光明皇后が五度にわたって東大寺大仏に献上した時に副えられていた献物帳には、①国家珍宝帳 ②種々薬帳 ③屏風花氈等帳 ④大小王真跡帳 ⑤藤原公真跡屏風帳がある。「国家珍宝帳」とは正式に「東大寺献物帳」と呼ばれるべきものであるが、この献物帳の冒頭に「太上天皇の奉為に国家の珍宝を捨して東大寺に入るる願文」との文言による。
中倉、南倉の宝物には東大寺の千手堂や東小塔などに保管されていた宝物や元々東大寺に保管されていたもの、儀式に使用されていた宝物、献上物を入れた箱類がある。
これらの宝物に使われている文様を再現したのが天平文様シリーズである。

40 金銀絵漆皮箱(きんぎんえうるしかわばこ)(中倉137)
正方形に近い面取り被蓋造の漆皮箱で、図は、蓋の表と長側面を示す。蓋・身とも獣皮を用いて成形したもので布着せはなく、薄い下地の上に黒漆を塗り透漆をかけている。また、蓋と身の周縁の帯の悪露は撚り紐を三列に廻らしている。
外面には金銀泥で文様が描かれている。蓋表のそれは花文と枝葉を組み合わせた集合大花文で、中心の花文を廻って20の花文を配置し、蓋と身の四側には花卉に飛鳥が配されている。そしてこれら各面を二重の金泥の連珠文で囲み、面と蓋・身の縁の帯に金泥の四弁小花文を連ねる。
すこしあらい粒子の金銀泥出文様を描いた上から油をひいてある。銀はほとんど黒灰色にア割、金は青金色を呈してる。
内部には、白綾の嚫(うちばり)が入れてある。それは白絁を裏裂として仕立てられており、立ち上がりの四辺は、細い竹を廻らし、紙に真綿を敷いたものを芯とし、底部は紙の代わりに麻布を心としている。
蓋の縦32㎝ 横28.5㎝ 高さ7㎝ 深さ6.7㎝ 
身の縦30㎝ 横26.8㎝ 高さ7.5㎝ 深さ7.2㎝   総高約8.8㎝
朝日新聞社「正倉院宝物 中倉」より引用
40 金銀絵漆皮箱 より
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