27 葡萄唐草文白綾 より

■正倉院宝物とデザインについて
正倉院宝物は一度に成立したのではなく、何段階かに分かれて成立しており、成立過程も皇室からの献上品、東大寺独自の収蔵品、皇室以外からの献上品と様々である。
もっとも根幹をなすものは、聖武天皇の七七忌に光明皇后が天皇遺愛の品々ならびに皇后に縁のあるものを東大寺大仏に献上したものである。その後も若干の宝物が光明皇后から東大寺に都合五度にわたって献上された宝物は正倉院正倉の北倉に納められ、今日に伝えられている。
光明皇后が五度にわたって東大寺大仏に献上した時に副えられていた献物帳には、①国家珍宝帳 ②種々薬帳 ③屏風花氈等帳 ④大小王真跡帳 ⑤藤原公真跡屏風帳がある。「国家珍宝帳」とは正式に「東大寺献物帳」と呼ばれるべきものであるが、この献物帳の冒頭に「太上天皇の奉為に国家の珍宝を捨して東大寺に入るる願文」との文言による。
中倉、南倉の宝物には東大寺の千手堂や東小塔などに保管されていた宝物や元々東大寺に保管されていたもの、儀式に使用されていた宝物、献上物を入れた箱類がある。
これらの宝物に使われている文様を再現したのが天平文様シリーズである。

27 葡萄唐草文白綾(ぶどうからくさもんしろのあや)(南倉150-19)
長さ103cm、幅52cmの矩形の褥の表裂である。裏面に墨書があり、神護景雲2年(767)称徳天皇が東大寺に献納された品物の敷物であったことがわかる。
二片とも用途不明の残片。組織は緯錦で、一幅の中央に径約26cmの大唐花を置き、それを囲んで八稜形に葡萄唐草を回らしている。葡萄唐草は種々な器物装飾や染織のデザインにしばしば応用されているが、染織でこの唐草じたいを主題としたものとしては、本図の錦と、ほかに綾に三種類がある。本図のもの は唐草の線がまことに暢びやかで、わが八世紀の葡萄唐草文の代表作というにふさわしい優作である。
組織は綾地異方綾文綾である。
中央の唐花の幅12.5cm
日経新聞社「正倉院の文様」より引用
27 葡萄唐草文白綾 より
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