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木版印刷から活版印刷
2020.09.27
奈良と印刷(物)には、深いかかわりがあります。現存する世界で最古の印刷物といわれる『百万塔陀羅尼経』が、法隆寺の百万塔の相輪の中に入っております。日本の印刷は木版印刷、木製活字や金属活字を使った活版印刷が昭和の後半まで主流でした。印刷形式でいう凸版印刷形式です。ちなみに、他には凹版印刷形式、平版印刷形式、孔版印刷形式があります。奈良の印刷史では、春日版というのが非常に有名です。興福寺が全国の末寺を中心に配布するという目的でお経を刷ったものです。これが平安末期から鎌倉時代にかけて刷られましたが、平安末期のものは火事に遭ってなくなっております。鎌倉時代のものは版木がそのまま残り、現在重要文化財に指定されています。これはいつ誰が、誰の依頼で版木を起こしたかということや、彫刻師の名前まで彫られているということで、当時の彫刻師の地位がどれほどのものであったか興味のあるところです。『多聞院日記』『大乗院雑事記』等には、それに関わる記述が載っていると思われ、今後の課題です。
明治になって活版印刷が復活いたします。一度は江戸時代初期、活版活字が導入されかけたのですが、普及せずに木版印刷が主流で明治に至ります。そして金属活字による活版印刷が明治になって本格的に復活します。
幕末から明治にかけて、本木昌造が長崎でオランダからの活字製造技術を学び、それを普及するのに活版所を作ります。本木は印刷業界でその業績が評価されています。この鉛活字印刷技術が普及し、2・3年で東京、横浜、大阪、京都に活版印刷所ができました。明治の5、6、7年頃には全国の主な都市で活版印刷所ができるという状況になります。奈良では明治7年頃に活版所が奈良市餅飯殿町41に開設されたと思われますが、正確なことは判っておりません。