99 紫地唐花文錦 より

■正倉院宝物とデザインについて
正倉院宝物は一度に成立したのではなく、何段階かに分かれて成立しており、成立過程も皇室からの献上品、東大寺独自の収蔵品、皇室以外からの献上品と様々である。
もっとも根幹をなすものは、聖武天皇の七七忌に光明皇后が天皇遺愛の品々ならびに皇后に縁のあるものを東大寺大仏に献上したものである。その後も若干の宝物が光明皇后から東大寺に都合五度にわたって献上された宝物は正倉院正倉の北倉に納められ、今日に伝えられている。
光明皇后が五度にわたって東大寺大仏に献上した時に副えられていた献物帳には、①国家珍宝帳 ②種々薬帳 ③屏風花氈等帳 ④大小王真跡帳 ⑤藤原公真跡屏風帳がある。「国家珍宝帳」とは正式に「東大寺献物帳」と呼ばれるべきものであるが、この献物帳の冒頭に「太上天皇の奉為に国家の珍宝を捨して東大寺に入るる願文」との文言による。
中倉、南倉の宝物には東大寺の千手堂や東小塔などに保管されていた宝物や元々東大寺に保管されていたもの、儀式に使用されていた宝物、献上物を入れた箱類がある。
これらの宝物に使われている文様を再現したのが天平文様シリーズである。

99 紫地唐花文錦(むらさきじからはなもんにしき)(南倉145-2)
複様三枚綾組織の緯錦で、経は浅紅、緯は紫と黄の二色。文様は前掲図版第一三の錦と同様であるが織り崩れがすくない。軽妙で線描的な文様構成は、銀平脱鏡箱(南倉71)および銀平脱八角鏡箱(南倉71)の平脱文様を思わせ、織文と平脱文との関連性がうかがわれる。この裂は、長さ148cm、幅108cmの矩形で、裏に赤あしぎぬを張り、裏面四箇所に同じあしぎぬのくけ紐がつけてあって、器物の覆いと考えられる。
北倉宝物鳥毛篆書屏風、鳥毛貼成文書屏風は、後世修理の際この類品を用いて縁取りがなされて居り、また類片が院蔵古裂中にしばしば見られる。当時この種の錦がさかんに製作されていたことが知られる。
朝日新聞社「正倉院宝物 染織」より引用
99 紫地唐花文錦 より
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