84 木画紫檀雙六局 より

■正倉院宝物とデザインについて
正倉院宝物は一度に成立したのではなく、何段階かに分かれて成立しており、成立過程も皇室からの献上品、東大寺独自の収蔵品、皇室以外からの献上品と様々である。
もっとも根幹をなすものは、聖武天皇の七七忌に光明皇后が天皇遺愛の品々ならびに皇后に縁のあるものを東大寺大仏に献上したものである。その後も若干の宝物が光明皇后から東大寺に都合五度にわたって献上された宝物は正倉院正倉の北倉に納められ、今日に伝えられている。
光明皇后が五度にわたって東大寺大仏に献上した時に副えられていた献物帳には、①国家珍宝帳 ②種々薬帳 ③屏風花氈等帳 ④大小王真跡帳 ⑤藤原公真跡屏風帳がある。「国家珍宝帳」とは正式に「東大寺献物帳」と呼ばれるべきものであるが、この献物帳の冒頭に「太上天皇の奉為に国家の珍宝を捨して東大寺に入るる願文」との文言による。
中倉、南倉の宝物には東大寺の千手堂や東小塔などに保管されていた宝物や元々東大寺に保管されていたもの、儀式に使用されていた宝物、献上物を入れた箱類がある。
これらの宝物に使われている文様を再現したのが天平文様シリーズである。

84 木画紫檀雙六局(もくがしたんのすごろくきょく)(北倉37)
雙六は、中国では雙陸と書き、十二棊、六博ともいい、インドに起こった遊技であって、五世紀頃、北魏に伝わったといわれ、わが国では、はやくも持統天皇のとき、これを禁じているから、それ以前に輸入されて流行したのであろう。院蔵の雙六盤は、北倉に一面、中倉にこれとほぼ同形式のものが一面と、他に三面の合わせて五面が伝えらえれている。ここに掲げた北倉の一面は、国家珍宝帳に「木畫紫檀雙六局一具 牙床脚、納漆縁籧篨龕。(々)裏悉漆」と記されているものである。盤は長方形で、面にはやや高い縁をめぐらして、下には床脚を付けている。床脚には香狭間が透かしてある。心材については不明ながら、その表裏に紫檀の薄板が貼ってある。天板の表面は三枚、裏面は二枚の板を接ぎ合わせている。盤面の縁に沿って、両短辺に各一箇の花形木画両長辺にはおのおの、中央に三日月形の象牙、その左右に各六箇の花形木画を嵌めている。花形木画は、象牙、緑染めの鹿角、黄楊木、紫檀などを組み合わせたもので、雙六子(駒)を配する眼である。縁、床脚には、それぞれ象牙の輪郭を付け、唐草、花鳥文を木画で表す。床脚の刳り面には、もと象牙を貼ってあったと思われるが、いまは仮に黄楊木で補っている。また、畳摺りの上面は菱形花文、側面は象牙の小花文の木画で飾ってある。
長側中央部の木画には、花弁、鳥のくちばしなどの白い部分は象牙、花弁の黒い部分は黒檀あるいは黒柿か、唐草の蔓と鳥の羽の黄褐色は黄楊木、葉や花の萼など緑色の部分は緑染めの鹿角、また上方の二羽の鳥の背は孟宗竹の小口を利用している。木画に竹を用いる例は比較的珍しいが、素材の持つ特徴をうまく利用した好例といえよう。奈良時代の遊技法は詳らかではないが、今も門跡寺院などで行われている方法は、盤上、敵味方の陣をおのおの十二に分かち、十五箇ずつの駒を並べ、二つの骰子を振って、その目の数に従って駒を進める遊び方である。
挿図は、トルファンのアスターナで発掘された副葬品ではあるが、その構造や木画の付置など宝物と酷似している。
長さ55cm 幅31.3cm 高さ17cm
朝日新聞社「正倉院宝物 北倉」より引用
84 木画紫檀雙六局 より
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