82 螺鈿紫檀五弦琵琶 より

■正倉院宝物とデザインについて
正倉院宝物は一度に成立したのではなく、何段階かに分かれて成立しており、成立過程も皇室からの献上品、東大寺独自の収蔵品、皇室以外からの献上品と様々である。
もっとも根幹をなすものは、聖武天皇の七七忌に光明皇后が天皇遺愛の品々ならびに皇后に縁のあるものを東大寺大仏に献上したものである。その後も若干の宝物が光明皇后から東大寺に都合五度にわたって献上された宝物は正倉院正倉の北倉に納められ、今日に伝えられている。
光明皇后が五度にわたって東大寺大仏に献上した時に副えられていた献物帳には、①国家珍宝帳 ②種々薬帳 ③屏風花氈等帳 ④大小王真跡帳 ⑤藤原公真跡屏風帳がある。「国家珍宝帳」とは正式に「東大寺献物帳」と呼ばれるべきものであるが、この献物帳の冒頭に「太上天皇の奉為に国家の珍宝を捨して東大寺に入るる願文」との文言による。
中倉、南倉の宝物には東大寺の千手堂や東小塔などに保管されていた宝物や元々東大寺に保管されていたもの、儀式に使用されていた宝物、献上物を入れた箱類がある。
これらの宝物に使われている文様を再現したのが天平文様シリーズである。

82 螺鈿紫檀五弦琵琶(らでんしたんごげんのびわ)(北倉29)
天宝勝宝八歳(756)六月二十一日の献物帳(いわゆる国家珍宝帳)に「螺鈿紫檀五弦琵琶一面 亀甲鈿捍撥、納紫綾袋浅 緑臈纈裏」と記されている琵琶である。その形態は、ふつうの四弦琵琶とは異なり、五弦で、海老尾(頭部)が屈曲して居らず、頸がまっすぐに伸び(直頸)、槽(背面)が厚くて細長い。四弦琵琶が、ペルシャ地方に起源をもつのに対して、このような五弦の直頸琵琶は、インドのアジャンター石窟の壁画や、キジル(亀茲、中国新疆ウイグル自治区)で発見された壁画に、この形式の楽器が描かれていることや、古く中国で、この琵琶を亀茲琵琶とか胡琵琶と呼んでいるところから見て、インドに起こり、中央アジアから北魏に入り、唐の頃(七~八世紀)に完成されたものといわれ、旧唐書音楽志にもその名が見えている。しかしその後、絶えてしまったらしく、正倉院のこの一面は、唐制の五弦琵琶として世界にただ一つの遺例である。この意味で、まことに貴重な存在といわねばならない。図版第一は表面の全姿、同第三は捍撥(撥うけ)、同第二と第四は背面全姿とその部分である。主に紫檀をもって作るが、部分によって別種の材が用いられている。腹板(表面の板)の材は、この五弦琵琶以外の楽器にも用いられている例が多く、沢栗とも呼ばれる。それはアブラギリ属のものと考えられたこともあったが、近年の調査の結果、トネリコ属のもので、ヤチダモかシオジ、あるいはそれに近い材と考えられるに至った。覆手(弦どめ)はイチイ、但し新補。これらのほか、装飾にはなお種々の材料が用いられている。
腹板には、玳瑁を花心とし、まわりを螺鈿と玳瑁の二重の花弁で飾った小花文十三箇を整然と配置する。また左右一対の小さな響孔すなわち半月を螺鈿の透かし彫りで飾る。捍撥には玳瑁を貼り、螺鈿で、上方に熱帯樹と五羽の飛鳥、下方に二つこぶの駱駝に騎乗して琵琶を弾ずる人物と、岩石、草花をあらわす。螺鈿には、毛彫りが施されている。この意匠は、明らかにササン朝ペルシャ様式のもので、人物もまた胡人のように見える。また騎乗弾奏の図文は、琵琶は馬上に弾ずという古の伝えをここに示している。覆手の下には陰月の孔をあけている。槽には、螺鈿で、上下に二箇の大宝相華文をいっぱいにおき、その中間には二羽の含綬鳥と飛雲を配する。螺鈿には毛彫りがあり、宝相華の花心と葉の心には、朱や緑、金泥などの彩を沈めて、玳瑁をかぶせてある。
磯(側面)、鹿頸(柱を張るところ)、海老尾にも、それぞれ、宝相華や小花、飛鳥や雲などを螺鈿で飾り、その一部には玳瑁が併用してある。また、落帯(胴の下面)は、金箔地に、朱、緑、墨で、花卉や飛鳥を描いて、玳瑁で覆ってあるが、新補が多い。転手(弦巻き)、覆手、および海老尾の先端は新補。献物帳の注記によると、浅緑臈纈裏をつけた紫綾の袋が付属していたが、いま伝わらない。また、献物帳には撥について記してはいないが、捍撥の玳瑁には撥によると思われる搔ききずがある。
長さ108.1cm 幅30.9cm 胴の厚さ9cm 捍撥の長さ30.9cm 幅13.3cm
朝日新聞社「正倉院宝物 中倉」より引用
82 螺鈿紫檀五弦琵琶 より
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