97 竹帙 より

■正倉院宝物とデザインについて
正倉院宝物は一度に成立したのではなく、何段階かに分かれて成立しており、成立過程も皇室からの献上品、東大寺独自の収蔵品、皇室以外からの献上品と様々である。
もっとも根幹をなすものは、聖武天皇の七七忌に光明皇后が天皇遺愛の品々ならびに皇后に縁のあるものを東大寺大仏に献上したものである。その後も若干の宝物が光明皇后から東大寺に都合五度にわたって献上された宝物は正倉院正倉の北倉に納められ、今日に伝えられている。
光明皇后が五度にわたって東大寺大仏に献上した時に副えられていた献物帳には、①国家珍宝帳 ②種々薬帳 ③屏風花氈等帳 ④大小王真跡帳 ⑤藤原公真跡屏風帳がある。「国家珍宝帳」とは正式に「東大寺献物帳」と呼ばれるべきものであるが、この献物帳の冒頭に「太上天皇の奉為に国家の珍宝を捨して東大寺に入るる願文」との文言による。
中倉、南倉の宝物には東大寺の千手堂や東小塔などに保管されていた宝物や元々東大寺に保管されていたもの、儀式に使用されていた宝物、献上物を入れた箱類がある。
これらの宝物に使われている文様を再現したのが天平文様シリーズである。

97 竹帙(じす)第4号 (中倉58)
経巻を包むのに用いられた簀で、竹ひごを色糸で編み、両端は太目の竹でとめてある。縁裂のあった形跡が残るが、その種類は判然としない。図版は中央部を示す。糸には白・黄燈・赤・茶・淡緑・緑・紺・紫など各色のものがあり、それらによる文様には簡単な斑文から、菱形や亀甲形を組み合わせかつ暈繝を表した複雑なものまで種々ある。そして中心の一条の上下に、相対して同形式のものが配され、複雑な組み合わせの中にも、秩序ある形式美を編み出している。
全長43.9cm
日経新聞社「正倉院の文様」より引用
97 竹帙 より
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