76 笛吹袍 より

■正倉院宝物とデザインについて
正倉院宝物は一度に成立したのではなく、何段階かに分かれて成立しており、成立過程も皇室からの献上品、東大寺独自の収蔵品、皇室以外からの献上品と様々である。
もっとも根幹をなすものは、聖武天皇の七七忌に光明皇后が天皇遺愛の品々ならびに皇后に縁のあるものを東大寺大仏に献上したものである。その後も若干の宝物が光明皇后から東大寺に都合五度にわたって献上された宝物は正倉院正倉の北倉に納められ、今日に伝えられている。
光明皇后が五度にわたって東大寺大仏に献上した時に副えられていた献物帳には、①国家珍宝帳 ②種々薬帳 ③屏風花氈等帳 ④大小王真跡帳 ⑤藤原公真跡屏風帳がある。「国家珍宝帳」とは正式に「東大寺献物帳」と呼ばれるべきものであるが、この献物帳の冒頭に「太上天皇の奉為に国家の珍宝を捨して東大寺に入るる願文」との文言による。
中倉、南倉の宝物には東大寺の千手堂や東小塔などに保管されていた宝物や元々東大寺に保管されていたもの、儀式に使用されていた宝物、献上物を入れた箱類がある。
これらの宝物に使われている文様を再現したのが天平文様シリーズである。

76 笛吹袍(ふえふきのほう)(舞いの演奏者の上着)(南倉124-7)
袍は上着のことで、『養老衣服令』では有位の人の官服を衣、無位の人のを袍といっているが、制式上の区別は記していない。
正倉院宝庫には袍と称されるものが百余領残っているが、それらの制式はおおむね、唐代流行の胡風に倣って盤領(詰襟)で、袖は筒袖、丈は概して長く、裾さばきをよくするために左右の裾を開く、いわゆる闕腋式が多い。この衣服もその通例の制式にしたがっており、おそらく袍とみてよかろう。表は浅紅地花葉文の﨟纈染めの絁、裏は緑絁の袷仕立てとし、下前のおくみ裏に「前笛吹六年」と墨書があり、舞曲の笛吹き役のものであったことが知られる。尤もこれだけではなんの舞曲かは判らないが、宝庫には他に「前(または後)六年」の墨書をもつ装束が十余点存在し、それらがすべて銘記から伎楽用であることが判明しているので、これも伎楽のものと考えてさしつかえないだろう。なお本件とまったく同文様·同形式で同じ墨書をもつ袍がもう一領あり、一具であったと思われる。
ちなみに墨書は「六年」とあるのみで年号を記していないが、東大寺大仏開眼以後奈良末期までに、六年以上続いた年号は、天平勝宝、天平宝字、宝亀があり、そのいずれかの年に上演された前後二部の伎楽のうち前部のものと思われる。
丈140cm 幅229cm
第54回正倉院展図録より
76 笛吹袍 より
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