65 碧地金銀絵箱 第24号 より

■正倉院宝物とデザインについて
正倉院宝物は一度に成立したのではなく、何段階かに分かれて成立しており、成立過程も皇室からの献上品、東大寺独自の収蔵品、皇室以外からの献上品と様々である。
もっとも根幹をなすものは、聖武天皇の七七忌に光明皇后が天皇遺愛の品々ならびに皇后に縁のあるものを東大寺大仏に献上したものである。その後も若干の宝物が光明皇后から東大寺に都合五度にわたって献上された宝物は正倉院正倉の北倉に納められ、今日に伝えられている。
光明皇后が五度にわたって東大寺大仏に献上した時に副えられていた献物帳には、①国家珍宝帳 ②種々薬帳 ③屏風花氈等帳 ④大小王真跡帳 ⑤藤原公真跡屏風帳がある。「国家珍宝帳」とは正式に「東大寺献物帳」と呼ばれるべきものであるが、この献物帳の冒頭に「太上天皇の奉為に国家の珍宝を捨して東大寺に入るる願文」との文言による。
中倉、南倉の宝物には東大寺の千手堂や東小塔などに保管されていた宝物や元々東大寺に保管されていたもの、儀式に使用されていた宝物、献上物を入れた箱類がある。
これらの宝物に使われている文様を再現したのが天平文様シリーズである。

65 碧地金銀絵箱 第24号(みどりじきんぎんえのはこ) (中倉151)
檜製で緑がかった鮮やかな青色の地に金銀絵の装飾を施す。これとよく似た箱がもう一合あり、ともに畳摺底面に「千手堂」の墨書銘があるので、一対のものとして何か宝物を納めて東大寺の同堂に献納されたものであろう。文様は鳥・蝶・花卉を組み合わせて蓋表、四側面に、蘇芳を塗った稜に五弁花文を表す。蓋表中央の楕円形主文は、花座の上で翼を広げ、相対する二羽の、花枝を銜えた水鳥を表す。花弁、茎、それに水鳥も銀泥の錆のため、この主文を回る碧地部分には花枝を銜えて飛ぶ鳥・蝶・花卉が配され、四隅には団花の一部が覗く。主文以外は上下も対称的に配されている。しかしその原則も細部まで拘束するものではなく、銀泥による花弁の数もまちまちで自由な処理がなされている。底裏は碧一色であるが、蘇芳などの地摺には木理文が描かれている。内面は白一色で、華麗な錦製の?をともなう。
蓋縦27.9cm
日経新聞社「正倉院の文様」より引用
65 碧地金銀絵箱 第24号 より
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