52 紅牙撥鏤尺、緑牙撥鏤尺 より

■正倉院宝物とデザインについて
正倉院宝物は一度に成立したのではなく、何段階かに分かれて成立しており、成立過程も皇室からの献上品、東大寺独自の収蔵品、皇室以外からの献上品と様々である。
もっとも根幹をなすものは、聖武天皇の七七忌に光明皇后が天皇遺愛の品々ならびに皇后に縁のあるものを東大寺大仏に献上したものである。その後も若干の宝物が光明皇后から東大寺に都合五度にわたって献上された宝物は正倉院正倉の北倉に納められ、今日に伝えられている。
光明皇后が五度にわたって東大寺大仏に献上した時に副えられていた献物帳には、①国家珍宝帳 ②種々薬帳 ③屏風花氈等帳 ④大小王真跡帳 ⑤藤原公真跡屏風帳がある。「国家珍宝帳」とは正式に「東大寺献物帳」と呼ばれるべきものであるが、この献物帳の冒頭に「太上天皇の奉為に国家の珍宝を捨して東大寺に入るる願文」との文言による。
中倉、南倉の宝物には東大寺の千手堂や東小塔などに保管されていた宝物や元々東大寺に保管されていたもの、儀式に使用されていた宝物、献上物を入れた箱類がある。
これらの宝物に使われている文様を再現したのが天平文様シリーズである。

52 紅牙撥鏤尺、緑牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく、りょくげばちるのしゃく)
紅牙撥鏤尺、緑牙撥鏤尺は、象牙を紅または緑に染めて、その表面に文様を彫り表わした物差しである。国家珍宝報に、「紅牙撥鏤尺二枚、緑牙撥鏤尺二枚」と掲げているものがこれであるが、緑牙の方は二枚とも紺染めである。どれも、寸の界を画するが、分の界はなくて、実用尺とは思えない。
唐六典に、毎年二月二日に鏤牙尺および木画紫檀尺を進めることが見えるが、これもそのような儀式用の物差しで、唐のいわゆる鏤牙尺に当たるるのであろうと考えられる。
朝日新聞社「正倉院宝物 北倉」より引用
52 紅牙撥鏤尺、緑牙撥鏤尺 より
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