42 茶地鹿花卉丸文夾纈羅几褥 より

■正倉院宝物とデザインについて
正倉院宝物は一度に成立したのではなく、何段階かに分かれて成立しており、成立過程も皇室からの献上品、東大寺独自の収蔵品、皇室以外からの献上品と様々である。
もっとも根幹をなすものは、聖武天皇の七七忌に光明皇后が天皇遺愛の品々ならびに皇后に縁のあるものを東大寺大仏に献上したものである。その後も若干の宝物が光明皇后から東大寺に都合五度にわたって献上された宝物は正倉院正倉の北倉に納められ、今日に伝えられている。
光明皇后が五度にわたって東大寺大仏に献上した時に副えられていた献物帳には、①国家珍宝帳 ②種々薬帳 ③屏風花氈等帳 ④大小王真跡帳 ⑤藤原公真跡屏風帳がある。「国家珍宝帳」とは正式に「東大寺献物帳」と呼ばれるべきものであるが、この献物帳の冒頭に「太上天皇の奉為に国家の珍宝を捨して東大寺に入るる願文」との文言による。
中倉、南倉の宝物には東大寺の千手堂や東小塔などに保管されていた宝物や元々東大寺に保管されていたもの、儀式に使用されていた宝物、献上物を入れた箱類がある。
これらの宝物に使われている文様を再現したのが天平文様シリーズである。

42 茶地鹿花卉丸文夾纈羅几褥(ちゃじしかかきのまるもんきょうけちらのつくえのじょく)(南倉150)
しぶい茶色系の斜格子文様の羅に、夾纈染めで、葉様の丸文の中にうずくまる花角鹿をおさめた主文に、回旋形と菱形の花葉文様などを配している。このうちの主文は、いわゆる動物唐花文の系統に属するものであるが、鹿を囲む花葉は優しく、豪華な唐式から繊細な和様へとしだいに移行する上代染色文様の変遷の一例ということができる。芯は麻で、表の羅の破れ目にあらわれている。裏は緑地豆絞りの絁である。法量や、華麗な表ぎれよりみて、多足机や榻足机など、かなり大型の仏前供物台のテーブルクロス、いわゆる献物几褥であろう。
長130cm 幅53.5cm
「正倉院展目録」より引用
42 茶地鹿花卉丸文夾纈羅几褥 より
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