23 紫檀木画槽琵琶

■正倉院宝物とデザインについて
正倉院宝物は一度に成立したのではなく、何段階かに分かれて成立しており、成立過程も皇室からの献上品、東大寺独自の収蔵品、皇室以外からの献上品と様々である。
もっとも根幹をなすものは、聖武天皇の七七忌に光明皇后が天皇遺愛の品々ならびに皇后に縁のあるものを東大寺大仏に献上したものである。その後も若干の宝物が光明皇后から東大寺に都合五度にわたって献上された宝物は正倉院正倉の北倉に納められ、今日に伝えられている。
光明皇后が五度にわたって東大寺大仏に献上した時に副えられていた献物帳には、①国家珍宝帳 ②種々薬帳 ③屏風花氈等帳 ④大小王真跡帳 ⑤藤原公真跡屏風帳がある。「国家珍宝帳」とは正式に「東大寺献物帳」と呼ばれるべきものであるが、この献物帳の冒頭に「太上天皇の奉為に国家の珍宝を捨して東大寺に入るる願文」との文言による。
中倉、南倉の宝物には東大寺の千手堂や東小塔などに保管されていた宝物や元々東大寺に保管されていたもの、儀式に使用されていた宝物、献上物を入れた箱類がある。
これらの宝物に使われている文様を再現したのが天平文様シリーズである。

23 紫檀木画槽琵琶(したんもくがのそうのびわ)(南倉101)
琵琶表面の腹板はヤチダモ様環孔材の五枚矧ぎ、捍撥は皮貼りで、丹下地の上に白、赤、緑、青、褐色などを用いて彩絵を施し、全体に油がかけられている。
その文様は、背景に紅葉の美しい高峻な山岳を描き、近景には、急流を思わせる川面に迫り出した台地の端近くに、二人の人物が坐す様を描いている。一人は頭を上げて深山の風趣を味わい、詩を案ずる趣であり、他の一人は膝前に研を置き、手に紙と筆をとって山の方をうち眺めている(挿図)。山岳の形や線条による凹凸の表現、あるいは樹木の扱いも類型化した表現で、古様を示すといわれる。中国では、南北朝の遺品にその原型を見出すことができるという。覆手にはイチイ材が用いられている。
槽は、紫檀の一枚板で、腹内を刳り抜いている。鹿頸・転手も紫檀材である。海老尾と弦門は黄楊木の一木から刳り出したものである。腹板を除く他は全面に木画を施している。槽には四弁花菱文、六弁花文・六弁小花文が交互に規則正しく配され、あたかも織物の文様を見るかのようである。
磯には六弁花文を嵌めている。また鹿頸の背面には小花菱文・六弁花文を、鹿頸の表面に重弁花菱文を表わし、弦門には四弁覗花文と六弁小花文、転手の八面および兎眼には六弁小花文を飾っているまた海老尾の表裏には、宝相花文と四弁花文を表わしている。
これらの木画は、象牙・紫檀・黒柿・黄楊木・緑染めの鹿角などの組み合わせで、一単位の文様が構成されている。ただし、その製作は、四弁花・六弁花の一弁一弁を一々象嵌していくのではなく、断面が四弁花・六弁花になるよう、前記素材を組み合わせて、棒状のものをまず作り、あたかも金太郎飴を薄く切っていくようにこれを切り、浅く彫り込まれた所定の位置に象嵌されたものである。
全長98.5㎝ 幅0.7㎝
朝日新聞社「正倉院宝物 南倉」より引用
23 紫檀木画槽琵琶
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