17 黄金瑠璃細背十二稜鏡 より

■正倉院宝物とデザインについて
正倉院宝物は一度に成立したのではなく、何段階かに分かれて成立しており、成立過程も皇室からの献上品、東大寺独自の収蔵品、皇室以外からの献上品と様々である。
もっとも根幹をなすものは、聖武天皇の七七忌に光明皇后が天皇遺愛の品々ならびに皇后に縁のあるものを東大寺大仏に献上したものである。その後も若干の宝物が光明皇后から東大寺に都合五度にわたって献上された宝物は正倉院正倉の北倉に納められ、今日に伝えられている。
光明皇后が五度にわたって東大寺大仏に献上した時に副えられていた献物帳には、①国家珍宝帳 ②種々薬帳 ③屏風花氈等帳 ④大小王真跡帳 ⑤藤原公真跡屏風帳がある。「国家珍宝帳」とは正式に「東大寺献物帳」と呼ばれるべきものであるが、この献物帳の冒頭に「太上天皇の奉為に国家の珍宝を捨して東大寺に入るる願文」との文言による。
中倉、南倉の宝物には東大寺の千手堂や東小塔などに保管されていた宝物や元々東大寺に保管されていたもの、儀式に使用されていた宝物、献上物を入れた箱類がある。
これらの宝物に使われている文様を再現したのが天平文様シリーズである。

17 黄金瑠璃細背十二稜鏡 第6号(おうごんるりでんはいのじゅうにりょうきょう)(南倉70)
正倉院のは、北倉に18面、南倉に38面の鏡がある。鏡背に文様のない漫背鏡や、単に鏡背に文様を鋳出しただけの鏡のほかに、平脱、螺鈿、銀貼、七宝などで鏡背を飾った、いわゆる宝飾鏡なども多く残っている。
 図版第一は七宝背の宝飾鏡。鏡体は、鍛造轆轤引き仕上げをした銀の円形厚板の外周を十二稜形に切り取ったもので、鏡面はわずかに凸面を呈する。図に示したのは背面で、鈕(つまみ)を花心にした六弁小花文の外側に、忍冬唐草の葉のような六枚の大花弁と、六枚の覗き花弁をめぐらして、全体を十二稜形にかたちづくっている。また花弁の先端と先端の先の間には、霰文様を打ち出した三角形黄金版を嵌めている。
 鏡背は、紐通し穴を有する鈕1箇、小花弁形6個、大花弁形6個、覗き花弁形6個の七宝釉板計17個と、三角黄金板12枚を、それぞれ別箇に作ってから鏡背に貼り付けている。すなわち鈕は、銀の半球形に金線を取り付けて黄と緑の釉薬を焼き付けたもの。また花弁形は、銀の薄板の縁を折り曲げて立ち上がりを作り、弁内に金線で区画して、それぞれの区内に黄、緑、濃緑などの釉薬をつけて焼き付けたものである。このような七宝技術で作った鈕と花弁形を、鏡の鏡胎に漆で一枚ずつ貼り付け、最後に花弁の先端の隙間を三角形黄金板で覆って仕上げている。金板は裏から丸鏨で粒点を打ち出し、表からその周りに魚子鏨を売って霰地としている。また鏡の側面は鏡背側に幅2ミリの金板をめぐらし、覆ってる。
 七宝製品の遺例としては、朝鮮半島でも、新羅時代の塔から七宝の針筒が発見されている。わが国では、奈良県牽牛子塚古墳から出土した棺金具に七宝飾りのものがある。
 この鏡の納め箱には、現在挿図に示す八角形の漆皮箱が仮に当てられているが、明治5年の調査時には、図版第一七、同第一八に示す漆皮箱があてられていた。
長径18.5㎝ 短径17.3㎝ 縁の厚さ1.4㎝ 重さ2,185g 朝日新聞社「正倉院宝物 中倉」より引用

17 黄金瑠璃細背十二稜鏡 より
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