103 檜金銀絵経筒 より

■正倉院宝物とデザインについて
正倉院宝物は一度に成立したのではなく、何段階かに分かれて成立しており、成立過程も皇室からの献上品、東大寺独自の収蔵品、皇室以外からの献上品と様々である。
もっとも根幹をなすものは、聖武天皇の七七忌に光明皇后が天皇遺愛の品々ならびに皇后に縁のあるものを東大寺大仏に献上したものである。その後も若干の宝物が光明皇后から東大寺に都合五度にわたって献上された宝物は正倉院正倉の北倉に納められ、今日に伝えられている。
光明皇后が五度にわたって東大寺大仏に献上した時に副えられていた献物帳には、①国家珍宝帳 ②種々薬帳 ③屏風花氈等帳 ④大小王真跡帳 ⑤藤原公真跡屏風帳がある。「国家珍宝帳」とは正式に「東大寺献物帳」と呼ばれるべきものであるが、この献物帳の冒頭に「太上天皇の奉為に国家の珍宝を捨して東大寺に入るる願文」との文言による。
中倉、南倉の宝物には東大寺の千手堂や東小塔などに保管されていた宝物や元々東大寺に保管されていたもの、儀式に使用されていた宝物、献上物を入れた箱類がある。
これらの宝物に使われている文様を再現したのが天平文様シリーズである。

103 檜金銀絵経筒(ひのききんぎんえのきょうずつ)
(中倉34)
檜の一木を刳り抜き、金銀泥の文様を施した経筒。蓋は後補のものを添える。印籠蓋造。底は檜の別材のものを差し込んである。側面の文様はほとんど銀泥で描かれ、草花文を上下四段にわたり、一周りで四個表し、間の地に鳥、蝶を散らしてある。しかし草花文の上下間隔には広狭の差があり、ごく大まかな当たりをつけただけで、筆を走らせたものと思われる。底部には花文があって、そとに金泥が用いられている。中倉に存する梵網経の容器として伝わった。
全長26.8cm
日経新聞社「正倉院の文様」より引用
103 檜金銀絵経筒 より
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