86 金銀平脱背八角鏡 より

■正倉院宝物とデザインについて
正倉院宝物は一度に成立したのではなく、何段階かに分かれて成立しており、成立過程も皇室からの献上品、東大寺独自の収蔵品、皇室以外からの献上品と様々である。
もっとも根幹をなすものは、聖武天皇の七七忌に光明皇后が天皇遺愛の品々ならびに皇后に縁のあるものを東大寺大仏に献上したものである。その後も若干の宝物が光明皇后から東大寺に都合五度にわたって献上された宝物は正倉院正倉の北倉に納められ、今日に伝えられている。
光明皇后が五度にわたって東大寺大仏に献上した時に副えられていた献物帳には、①国家珍宝帳 ②種々薬帳 ③屏風花氈等帳 ④大小王真跡帳 ⑤藤原公真跡屏風帳がある。「国家珍宝帳」とは正式に「東大寺献物帳」と呼ばれるべきものであるが、この献物帳の冒頭に「太上天皇の奉為に国家の珍宝を捨して東大寺に入るる願文」との文言による。
中倉、南倉の宝物には東大寺の千手堂や東小塔などに保管されていた宝物や元々東大寺に保管されていたもの、儀式に使用されていた宝物、献上物を入れた箱類がある。
これらの宝物に使われている文様を再現したのが天平文様シリーズである。

86 金銀平脱背八角鏡(きんぎんへいだつはいのはっかくきょう) (北倉42)
国家珍宝帳に「八角鏡一面重大四斤二兩 径九寸六分、漆背、金銀平脱、緋シ帯、漆皮箱緋綾シン盛」と記されている鏡である。鏡胎は八角形をした白銅製で、最近のX線分析調査の結果でも、銅、錫、鉛を主成分とするものであることが確認された。鏡背は漆を塗って、金と銀の平脱で、種々な文様を飾ってある。なお正倉院には、ほかに漆背金銀平脱鏡一面が伝えられるが、破鏡となり、文様の詳細は判らない。本宝物の文様は、鈕を中心に宝相華風唐草文、その周りに、四羽の綬をくわえた鶴と四羽の鳳凰をおき、その間には花喰い鳥、飛鳥、蝶、唐草、花卉、雲などを旋回的に散らした構図である。平脱には細かい蹴り彫りが施されている。鏡背を平脱で飾ることは、唐の前半ごろに流行した形式で合あって、洛陽郊外の古墓などから出土している平脱鏡に、文様、技巧が図の鏡と殆ど同一のものがあり、本鏡も唐から舶載された鏡と考えられている。この鏡もまた、寛喜二年(1230)盗難にかかり破砕され、明治二十七年に十四片の破片を集めて補修したのもので、鏡背の平脱には、かなりの補足があり、また外縁数箇所には、銀で鏡胎を接合したところがみえる。箱、帯は逸して伝わらない。
径28.5cm 厚さ0.6cm 重さ2935g
朝日新聞社「正倉院宝物 北倉」より引用
86 金銀平脱背八角鏡 より
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